近年、医療用機器卸売業界のM&Aが増えている。ここでは、医療用機器卸売業界の市場動向やビジネスモデル、M&Aの買い手側によるデュー・ディリジェンスにおける注意点、企業価値評価(株価算定)で使う数値(マルチプルなど)について説明する。これらから、医療用機器卸売業界においてM&Aを成功させるためのポイントについて考えてみたい。
M&Aを考える医療用機器卸売業界の概要
医療用機器卸売業界の市場環境
医療用機器卸売業は、医療用診断、治療、予防用の装置、機械、医療用品を医療機関や研究機関に販売する事業者(ディーラー)のことをいう。メーカーの販売代理店、輸入商社、全国規模の流通機能を持つディーラー、地場の販売店、外資系企業などがあり、医療機器の流通機能を支えている。
医療用機器卸売業界では、月産1億円未満の小規模企業が全事業所数の8割を占めており、地場の小規模事業者が乱立している。長年、業界再編が進んでおり、M&Aが頻繁に行われていることが特徴である。
厚生労働省「医薬品・医療機器産業実態調査」によれば、医療機器の国内生産金額は2014年の1兆6千億円から2017年の1兆9千億円へ増加している。景気変動の影響をあまり受けないこと、国内の老人医療費は増大傾向にあることから、今後の医療用機器製造業の売上高は安定的に増加することが見込まれる。
医療用機器卸売業界のビジネスモデル
医療用機器卸売業のビジネスモデルは、都道府県知事から医療用機器販売業の許認可を受け、医療用機器を製造業者(メーカー)から仕入れ、それを医療機関や研究機関に販売するものである。
単に販売することだけでなく、医療機関から情報収集してメーカーへ提供すること、医療機関へメーカーの新製品情報を提供することも重要な役割である。また、カテーテルなど消耗品については、在庫管理や保管・配送などの業務が必要となる。
医療用機器卸売業界M&Aで買い手候補となる企業
医療用機器卸売業の事業承継を目的としたM&Aであっても、買い手候補は上場企業や大企業が中心になると考えられる。この業界では、以下のような上場企業が中心となって業界再編を進めていくことが想定される。
エア・ウォーター、クロノスメディカルデバイス、宮野医療器、シップヘルスケアホールディングス、メディアスホールディングス、カワニシホールディングス、ディーブイエックス 、ウインパートナーズ、日本ライフライン、日本エム・ディ・エム、ヤマシタヘルスケア、日東工器、アズワン、ディーブイエックス、アトラ、川本産業である。
医療用機器卸売業界M&Aで売却する売り手のメリット
安定している大手企業にM&Aで医療用機器卸売業を承継することで、従業員の雇用を維持し、事業のさらなる成長を実現することができる。また、得意先である医療機関や研究機関は、必要とする医療用機器を継続して購入することもできることに加え、医療用機器製造業者などの仕入先との関係を継続することができる。
また、小規模事業者が単独では難しかったIT投資によるデジタル化の推進よって、医療用機器卸売業の経営効率化を実現することができる。結果として生産性が向上すれば、従業員の給与水準をアップさせることができるだろう。
さらに、買い手企業が大企業であれば、物流規模の拡大による生産性向上、大量仕入れによる原材料費の引下げや、人材採用コスト、広告宣伝費、本社経費を削減し、M&Aによるシナジー効果を得ることができる。
以上のようなシナジー効果が期待され、買い手候補にとって魅力的な事業であれば、売り手側の経営者は、高い売却価格を実現することができ、引退した後のライフプランを充実したものとすることができる。
医療用機器卸売業界M&Aで買収する買い手の注意点
医療用機器卸売業の買収デュー・ディリジェンスにおける注意点
医療用機器卸売業のM&Aでは、病院などの医療用機関との取引基本契約を確認し、取引が継続するかどうか確認する必要がある。病院によっては特定の卸売業者のみ取引することが限定されることもあり、随意契約によって継続的な取引関係が維持されているが、M&Aによってその関係が切れてしまわないかどうかが問題となる。
また、機器貸出(レンタル)などによって販売代金の回収が長期化することから、運転資本の資金繰りについても確認しておきたい。
コンプライアンスの面において、高度管理医療機器に販売に係る追跡可能性の確保が求められている。追跡可能性を確保するための物流管理システムを所有しているかどうか確かめる必要がある。
医療用機器卸売業の買収で承継すべき経営資源
病院など医療機関との取引関係が基本となる経営資源である。医療用機器卸売業は、病院などの医療用機関との取引・人間関係が固定化している特徴がある。
また、医療機関とメーカーとの関係を持ち、貴重な情報を持ち、「目利き」として機能する営業マンも重要な経営資源である。
医療品医療機器等法に基づいて都道府県知事から医療用機器販売業の許可を受けなければいけないため、その許認可の承継は不可欠である。これに基づき各営業所に配置される販売管理者の人材の承継も不可欠である。
医療品医療機器等法39条に定められる販売記録(販売先の追跡可能性を確保するため)のデータベースは、正確かつ漏えいなく承継しなければいけない。
無形資源は、事業承継によって喪失されることが多いため、医療用機器卸売業のM&Aを行う場合は、営業マンが退職してしまわないよう、人材の引継ぎに時間と労力をかけるなど、人材の承継を丁寧に行うことが重要だろう。
卸売業では、人材が流出すると事業価値が消滅する。人材の承継が全てだと言っても過言ではない。
医療用機器卸売業のM&Aで買収するときの企業価値評価(株価算定)
医療用機器卸売業のM&Aにおける企業価値評価(株価算定)を行う際に活用することができる数値は、以下の通りとなっている。
まず、TKC経営指標(2018年度)によれば、医療用機器卸売業の収益性について、売上高成長率は約10.1%である。また、粗利率は16.4%、営業利益率は0.7%となっている。生産性について、1人当たり売上高は5,604万円、1人当たり人件費は551万円となっている。
次に、2020年8月現在の開示情報および市場株価によれば、医療用機器卸売業のマルチプル(倍率)について、PBR倍率は0.8~1.8倍、PER倍率は15~30倍、EBITDA/企業価値倍率は6~15倍となっている。
さらに、筆者が推計する株主資本コストは、安定した老舗企業であれば10%、急成長の新興企業であれば15%が妥当であると考える。これは、この類似上場企業のROICが7%前後であることを考慮しつつ、類似上場企業のベータ値が0.3~0.9であること、ヒストリカル・マーケット・リスク・プレミアム(1950年代~2020年)が7%~9%であることを前提にして、小規模リスク・プレミアムを加算して推計している。また、人材流出リスクを考慮してプラス5%加算している。
なお、類似上場企業比較法で採用すべき上場企業として、シップヘルスケアホールディングス(3360)、メディアスホールディングス(3154)、カワニシホールディングス(2689)、ディーブイエックス(3079)、ウインパートナーズ (3183)、日本ライフライン(7575)、日本エム・ディ・エム(7600)、ヤマシタヘルスケアホールディングス(9265)、日東工器(6151)、ディーブイエックス(3079)、アトラ(6029)、川本産業(3604)、メディアスホールディングス(3154)が挙げられる。
アズワンは他社を圧倒する競争力を持つ優良企業であり、株式評価が著しく高くなっているので、中小企業の比較対象から外したほうがよいだろう。