近年、人材派遣業界のM&Aが増えている。ここでは、人材派遣業界の市場動向やビジネスモデル、M&Aの買い手側によるデュー・ディリジェンスにおける注意点、企業価値評価(株価算定)で使う数値(マルチプルなど)について説明する。これらから、人材派遣業界においてM&Aを成功させるためのポイントについて考えてみよう。
M&Aの多い人材派遣業界の現状
人材派遣業界の全体像を理解するために、市場動向や経営環境、ビジネスモデル、M&Aの買い手候補となる同業他社について説明する。
人材派遣業界の市場動向・経営環境
人材派遣業は、派遣するために雇用した労働者を派遣先の事業所からその業務の遂行に関する指揮命令を受けて、その事業所のための労働に従事させる事業をいう。この事業は、労働者派遣法(労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律)に基づく許可制となっている。
厚生労働省の「労働者派遣事業の事業報告の集計結果」によると、人材派遣業の事業者数は、2013年の7万4千社をピークに、近年は減少が続いている。
少子高齢化に伴う労働人口の減少によって企業の人材不足が深刻化しており、専門家人材を確保する手段となる人材派遣業へのニーズは増加している。しかし、人材派遣業者にとって登録する労働者を増やすことが難しく、派遣先ニーズに対応できない状況となっている。
市場規模について、全国の一般労働者派遣事業の売上高合計は5兆円前後、特定労働者派遣事業の売上高合計は1兆億円前後で伸び悩んでいる。実際に派遣された労働者数も減少している。
今後は、人材派遣から正規雇用や社外アウトソースへ移行する企業が増えることが予想されることから、人材派遣業者の売上高は減少する可能性がある。
人材派遣業界のビジネスモデル
人材派遣業のビジネスモデルは、労働者に登録してもらい、事業所へ派遣するというものである。
労働者派遣における人材派遣業者、派遣先及び労働者の3者間の関係は、人材派遣業者と労働者との間に雇用関係があり、人材派遣業者と派遣先との間に労働者派遣契約が締結される。この契約に基づいて、派遣先は労働者を使用する。すなわち、派遣者にとって雇用関係にない企業から使用されることになる。この点において人材派遣業は、請負業者が労働者を使用することになる業務請負業と相違している。
事業所から受け取る収益と、労働者へ支払う人件費との差額が粗利となるが、平均的な粗利率は40%である。そこから、社会保険料、諸経費を控除すると、一般労働者派遣業の平均的な営業利益率は2%~4%となっており、薄利多売のビジネスである。この業界で利益率を上げるには、事業規模の拡大が求められる。
今後は、同一労働同一賃金制度の導入によって、人材派遣サービスに対するニーズが減少する可能性がある。
人材派遣業界M&Aで買い手候補となる企業
人材派遣業の事業承継を目的としたM&Aであっても、買い手候補は上場企業や大企業が中心になると考えられる。この業界では、以下のような上場企業が中心となって業界再編を進めていくことが想定される。
事務系を主体とする総合人材サービスであれば、リクルートホールディングス、パソナグループ、パーソルホールディングス、クリエアナブキ、ライク、CRGホールディングス、キャリアリンク、ヒューマンホールディングス、キャリアバンク、クイックである。
一方、製造業系であれば、アルプス技研、アウトソーシング、ワールドホールディングス、UTグループ、日総工産、夢真ビーネックスグループ、フルキャストホールディングス、フォーラムエンジニアリング、アルトナー、ウィルテック、nmsホールディングス、エスユーエス、ジェイテック、メディアファイブである。
さらに、販売系であれば、エスプール、ウィルグループ、ヒト・コミュニケーション・ホールディングスである。
人材派遣業界M&Aで売却する売り手のメリット
安定している大手企業にM&Aで人材派遣業を承継することで、従業員の雇用を維持し、事業のさらなる成長を実現することができる。また、得意先である派遣先は、多様な派遣労働者を継続して契約することもできることに加え、労働者に対して幅広い派遣先の選択肢を提供することができる。
また、小規模事業者が単独では難しかったIT投資によるデジタル化の推進よって、人材派遣業の経営効率化を実現することができる。結果として生産性が向上すれば、従業員の給与水準をアップさせることができるだろう。
さらに、買い手企業が大企業であれば、事業規模の拡大による生産性向上、登録労働者の増加によるコスト削減、人材採用コスト、広告宣伝費、本社経費を削減し、M&Aによるシナジー効果を得ることができる。
以上のような効果を得られ、買い手候補にとって魅力的な事業であれば、売り手側の経営者は、高い売却価格を実現することができる。それによって、引退した後のライフプランを充実したものとすることができる。
人材派遣業界M&Aで買収する買い手の注意点
人材派遣業界で買収を行う際、デュー・ディリジェンスにて調査すべき経営資源や注意点を説明する。
人材派遣業の買収デュー・ディリジェンスにおける注意点
人材派遣業は、労働者の派遣契約、雇用契約において法令違反が生じやすいという特徴がある。社会保険への加入は当然のこと、未払残業代が無いか調査する必要がある。
人材派遣業の事業性を評価する場合の注意点として、登録する労働者の能力向上を行っているか確かめておく必要がある。教育・訓練制度の充実、各種研修・セミナーの設置が求められる。未経験者の能力向上プランも必要だろう。
また、労働者のデータベースの充実や管理システムの高度化が重要です。個人情報の管理状況なども含めて、ITデュー・ディリジェンスが必要となるだろう。
人材派遣業の買収で承継すべき経営資源
人材派遣業では、登録されている労働者が基本となる経営資源である。労働者が働くことによって人材派遣業の収益が創出されているため、労働者に契約を継続してもらえることが重要である。
また、営業担当者の能力も重要な経営資源となる。安定的に派遣先を確保し、多様な人材を提案できること、労働者の登録を促すことができることが求められる。
これらはいずれも人的資源であるが、事業承継によって喪失されることが多いため、人材派遣業のM&Aを行う場合は、登録者、営業担当者の引継ぎに時間と労力をかけることが必要である。人的資産の承継を丁寧に行うことが重要だろう。
人材派遣業を買収するときの企業価値評価(株価算定)
人材派遣業のM&Aにおける企業価値評価(株価算定)を行う際に活用することができる財務数値は、以下の通りとなっている。
人材派遣業の評価で使う資本コストとマルチプル
まず、TKC経営指標(2018年度)によれば、人材派遣業の収益性について、売上高成長率は約1.1%である。また、粗利率は45.6%、営業利益率は2.0%となっている。生産性について、1人当たり売上高は389万円、1人当たり人件費は241万円となっている。
次に、2020年8月現在の開示情報および市場株価によれば、人材派遣業のマルチプル(倍率)について、PBR倍率は2.5~3.0倍、PER倍率は10~15倍、EBITDA/企業価値倍率は6~8倍となっている。
さらに、筆者が推計する人材派遣業の株主資本コストは、安定した老舗企業であれば8%、急成長の新興企業であれば12%が妥当であると考える。これは、この類似上場企業のROICが10%~15%であることを考慮しつつ、類似上場企業のベータ値が0.8~1.2であること、ヒストリカル・マーケット・リスク・プレミアム(1950年代~2020年)が7%~9%であることを前提にして、小規模リスク・プレミアムを加算して推計している。
人材派遣業の類似上場企業比較法で採用すべき企業の例
人材派遣業を評価する類似上場企業比較法で採用すべき上場企業として、事務系であれば、クリエアナブキ、ライク、CRGホールディングス、キャリアリンク、ヒューマンホールディングス、キャリアバンク、クイックである。
一方、製造業系であれば、アウトソーシング、ワールドホールディングス、UTグループ、テクノプロ・ホールディングス、日総工産、夢真ビーネックスグループ、フルキャストホールディングス、フォーラムエンジニアリング、アルトナー、ウィルテック、nmsホールディングス、エスユーエス、ジェイテック、メディアファイブである。
さらに、販売系であれば、エスプール、ウィルグループ、ヒト・コミュニケーション・ホールディングスである。