近年、印刷業界のM&Aが増えている。ここでは、印刷業界の市場動向やビジネスモデル、M&Aの買い手側によるデュー・ディリジェンスにおける注意点、企業価値評価(株価算定)で使う数値(マルチプルなど)について説明する。これらから、印刷業界においてM&Aを成功させるためのポイントについて考えてみたい。
M&Aの多い印刷業界の現状
印刷業界の全体像を理解するために、市場動向や経営環境、ビジネスモデル、M&Aの買い手候補となる同業他社について説明する。
印刷業界の市場動向・経営環境
印刷業は、顧客からの注文を受けて、指定された紙質、サイズ、数量などに基づいて印刷物を制作する事業者のことをいう。情報を印刷する際に編集、デザイン、画像処理などの情報処理が必要とされる。
紙面への印刷は、インターネットの普及によって市場が縮小している。
経済産業省「工業統計表・産業別統計表(平成29年度)」によれば、印刷業の市場規模は、2010年の7兆9千億円から2020年の7兆4千億円へ減少しており、デジタル化の進展によってさらに減少することが予想される。
印刷業界のビジネスモデル
印刷業のビジネスモデルは、出版社、事業会社、官公庁など顧客から注文されて印刷を行うという受注生産型の製造業である。書類の印刷だけでなく、包装材、パッケージ、壁紙の印刷がある。
多品種少量生産で労働集約的な製造業であることから、地域密着型の中小零細企業が多数存在している。
紙媒体への印刷が減少してきたことから、データ入力から顧客リストの管理、販促プランの提案まで一括して販促を請け負う総合的なアウトソーシング業態へ転換することが求められている。
印刷業界M&Aで買い手候補となる企業
印刷業の事業承継を目的としたM&Aであっても、買い手候補は上場企業や大企業が中心になると考えられる。この業界では、以下のような大企業が中心となって業界再編を進めていくことが想定される。
共同印刷、廣済堂、朝日印刷、サンメッセ、ダイナパック、佐川印刷、竹田印刷、光村印刷、中本パックス、共立印刷、福島印刷、野崎印刷紙業、光ビジネスフォーム、総合商研、セキ、日本創発グループ、ビーアンドピー、東洋紙業、アベイズム、真生印刷、小松印刷である。
印刷業界M&Aで売却する売り手のメリット
安定している大手企業にM&Aで印刷業を承継することで、従業員の雇用を維持し、事業のさらなる成長を実現することができる。また、得意先である出版社や事業会社は、緊密な関係にある印刷業者との取引を継続することもできる。
また、小規模事業者が単独では難しかったIT投資によるデジタル化の推進よって、印刷業の経営高度化を実現することができる。結果として生産性が向上すれば、従業員の給与水準をアップさせることができるだろう。
さらに、買い手企業が大企業であれば、生産規模の拡大による生産性向上、大量仕入れによる原材料費の引下げや、人材採用コスト、広告宣伝費、本社経費を削減し、M&Aによるシナジー効果を得ることができる。
以上のようなシナジー効果が期待され、買い手候補にとって魅力的な事業であれば、売り手側の経営者は、高い売却価格を実現することができ、引退した後のライフプランを充実したものとすることができる。
印刷業界M&Aで買収する買い手の注意点
印刷業界で買収を行う際、デュー・ディリジェンスにて調査すべき経営資源や注意点を説明する。
印刷業の買収デュー・ディリジェンスにおける注意点
印刷業は、印刷機械の技術革新が早く、耐用年数を経ない早い時期に新型機械設備へ転換しなければいけないという特徴がある。このような転換が遅れ、機械設備が陳腐化しているとすれば、買収した後に新たな設備投資が必要となるため、注意する必要がある。
印刷業の買収で承継すべき経営資源
印刷業では、デザイン力や企画・編集力を有する従業員が基本となる経営資源である。受注するときに、顧客との細かい連絡が必要であること、情報管理の厳格さが求められることから、顧客との取引関係の継続性は強くなる。それゆえ、長期継続した顧客関係を承継することが重要である。
また、最新技術を有する機械設備が経営資源となる。
顧客関係のような無形資産は、事業承継によって喪失されることが多いため、印刷業のM&Aを行う場合は、個別の顧客関係の引継ぎに時間と労力をかけるなど、丁寧に承継を行うことが必要である。
印刷業を買収するときの企業価値評価(株価算定)
印刷業のM&Aにおける企業価値評価(株価算定)を行う際に活用することができる財務数値は、以下の通りとなっている。
印刷業の評価で使う資本コストとマルチプル
まず、TKC経営指標(2018年度)によれば、印刷業の収益性について、売上高成長率は約3.2%である。また、粗利率は25.0%、営業利益率は2.0%となっている。生産性について、1人当たり売上高は1,422万円、1人当たり人件費は432万円となっている。
次に、2020年8月現在の開示情報および市場株価によれば、印刷業のマルチプル(倍率)について、PBR倍率は0.5~0.6倍、PER倍率は15~20倍、EBITDA/企業価値倍率は6~8倍となっている。
さらに、筆者が推計する印刷業の株主資本コストは8%が妥当であると考える。これは、この類似上場企業のROICが1~2%であることを考慮しつつ、類似上場企業のベータ値が0.6~0.7であること、ヒストリカル・マーケット・リスク・プレミアム(1950年代~2020年)が7%~9%であることを前提にして、小規模リスク・プレミアムを加算して推計している。
印刷業の類似上場企業比較法で採用すべき企業の例
印刷業を評価する類似上場企業比較法で採用すべき上場企業として、共同印刷(7914)、朝日印刷(3951)、サンメッセ(7883)、ダイナパック(3947)、竹田印刷(7875)、光村印刷(7916)、共立印刷(7838)、野崎印刷紙業(7919)、光ビジネスフォーム(3948)、総合商研(7850)、セキ(7857)、日本創発グループ(7814)が挙げられる。
大日本印刷、凸版印刷は規模が大きすぎることから除外したほうがよいだろう。